埼玉のうどんとそばの歴史



 

■埼玉県は東の「うどん県」?
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「うどん」といえば香川県。「そば」といえば長野県。
そんなイメージを持っている埼玉県民は多いでしょう。でも、埼玉のうどんとそばの歴史を紐解くと、ちょっと興味深い真実が見えてきます。

 

近年、テレビや雑誌で埼玉県のご当地うどんの特集が組まれるなど、ちょっとした埼玉うどんブームが起きています。うどん(生麺、ゆで麺、乾麺)の生産量は、「うどん県」で知られる香川県に次いで第二位。また、「和風麺」(うどんやそうめんなど)の出荷額は埼玉県が約327億円で、第三位の香川県を抑えて第一位です。県内には数多くのうどん店があり、バラエティーに富んだ「ご当地うどん」が存在するのも大きな特徴です。

 

「武蔵野うどん」「加須うどん」「熊谷うどん」といった地域の名が入ったもの。「煮ぼうとう」「すったて」「おっきりこみ」といった古くから伝わる郷土食。「藤うどん」「にんじんうどん」「ゆずうどん」など、地域の特産品を連想させるものまで。実に20種類以上のご当地うどんが存在します。

 

 

 

■朝まんじゅうに昼うどん
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埼玉県は麦の生産量が約24.000トンで(令和3年)、全国有数の麦の生産県です。特に県北地域は、冬に晴天日が多く日照時間が長いことから、麦の栽培に適しており、古くから麦の栽培が盛んです。埼玉の農家で伝わったという言葉、「朝まんじゅうに昼うどん」。「朝はまんじゅうを食べて、昼はうどんを食べる」というそのままの意味です。昔からうどんが食べられ、小麦の文化が根付いていたことが分かります。多くの地域では、冠婚葬祭などの祝いの行事で、うどんを打ち、客に振る舞う習慣があったとされています。

 

 

■麦翁と呼ばれた男
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埼玉のうどん文化を語る上で欠かせない人物が、「麦翁(ばくおう)」と呼ばれた権田愛三(ごんだあいぞう)です。麦作の農業改良に尽力した人物として知られています。江戸後期の嘉永3年(1850年)に、現在の熊谷市で生まれた権田愛三。当時の麦づくりは生産が安定せず、食料不足が問題となっていたそうです。22歳の権田愛三は会社を設立し、肥料と藍の栽培に着手。農業の改良にも努めました。明治時代から大正時代にかけては麦の増産の研究に取り組み、「麦踏み」「二毛作」などを全国に広めたそうです。そして明治42年(1909年)には、「実験麦作栽培改良法」を出版。全国から多くの視察者が訪れて、各地の指導開発にも貢献し、それらの功績が認められて緑綬褒章が授与されました(1914年)。権田愛三の働きがなければ、埼玉のうどん文化が現代に伝わっていなかったかもしれません。

 

 

■埼玉では3000年前からそばが食べられていた!?
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日本のそばの歴史は古く、栽培が始まったのは縄文時代といわれています。実はさいたま市岩槻区にある約3000年前の遺跡(真福寺貝塚)から、そばの種子が発見されています。当時は製粉技術が乏しく、現在のように麺としてではなく、雑炊などにして食べていたのではないかといわれています。それでも、もしかしたら約3000年も前から「埼玉でそばが食べられていたのかも」と考えると、ロマンがありませんか?

 

県内でそばの栽培が盛んな地域として、秩父市と三芳町が知られています。秩父市は四方を山に囲まれた盆地で、一日の寒暖差や夏が暑くて冬が寒い気候などが好条件となり、美味しいそばが出来るそうです。三芳町は町内に20haに及ぶそば畑があり、夏や秋には美しいそばの花が見頃となります。三芳町のそばは粘りが強く、十割そばでも歯切れやのど越しが良いのが特徴だそうです。